嘉納治郎右衛門 (八代目) (Jiroemon KANO (the eighth))

八代目嘉納 治郎右衛門(はちだいめ かのう じろうえもん、嘉永6年7月3日 (旧暦)(1853年8月7日) - 昭和10年(1935年)3月19日)は、日本の実業家。
嘉納財閥・本嘉納家8代目当主。
本嘉納商店社長(菊正宗酒造)。

人物
嘉永6年(1853年)摂津国御影(現兵庫県神戸市東灘区御影)に生まれる。
本名は秋香。
明治15年(1882年)家督を相続し、家業の醸造業に従事。
この年商標令が発布され、従来の銘柄「本稀」を「菊正宗」と改名、登録した。
醸造の改善に苦心し、杉桶の改良を志して銅タンクの使用を発明。
明治40年(1907年)本嘉納商店を合資会社とし、大正8年(1919年)株式会社に改組。
大正15年(1926年)別に本嘉納合名会社を設立、土地、建物、有価証券などの投資事業をも行った。
また灘商業銀行(のちに神戸銀行)を創立し頭取に就任、日本醸造酒会監事、武庫汽船取締役、日本相互貯蓄銀行相談役などを歴任した。
また酒造業だけでなく受験進学校として知られる灘中学校・高等学校の前身、灘中学校の創立や兵庫運河の建設工事にも力を注いだ。

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